『 ある王の独白 』
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 我々の祖先がこの惑星に降り立った頃、この星にはまだ、我々を脅かす生物は存在していなかった。
 この惑星――地球には、海が存在した。 清浄なる青き故郷だ。 放浪の旅の末、この星に降りたった同胞が見たものは、まさに理想郷であったろう。
その当時の海には、小さな小動物ばかりがたくさんといて、身体の大きさで我々を上回るものも、力で我々を上回るものも、存在しなかったという。 我々の祖先は、悠々と彼ら小動物を捕食する事で、生きながらえてきたのだ。
 私の一族は、この星を統べる同胞達の頂点に戴かれていた。 今では想像も出来ないが、当時は我々にも、順位制に基づく社会構造があったのだ。 我々は、この蒼き惑星の、原初の支配者だったのである。
 
 だが、悠久の時を経て、我々を取り巻く環境は大きく変わった。 生命とは、厳しい環境の中でこそ自ずから強く進化をはじめるものだ。
瞬く間に彼ら小動物は巨大化し、多様な進化を見せはじめた。
身体の大きさはみるみるうちに我々に迫り、やがては惑星全土を舞台にした熾烈な生存競争が始まった。

 既に進化の袋小路に迷い込んでいた我々は、この星の生物達が遂げる進化に、追いつけずにいた。 それが我々が直面した、最初の苦難であった。 もっとも、固い鎧をもつ我々を、絶滅にまで脅かすほどの天敵は現れなかったが、我々の祖先は、この星の歴史の舞台から姿を消し、海の底で、ひっそりと生きてゆく道を選んだのである。
 ―――それが、大きな過ちであるとも気づかずに。

 我々が、争いの無い進化の結果に得たものは、より強固さを増した鎧だけだった。 我々の鎧を突き崩せるものは、自然界においてそう多くはない。 しかし、個体としての生存確立が上がった結果、その代償として私達は、集団を形成する力を失ってしまったのである。
 群れ毎の退化が進むと、意思を伝え合うことの出来る同胞は減り、身体は小型化の一途を辿った。
この話を、私に語って聞かせた祖母の、悔しそうな表情を思い出す。 そのたびに、私も、なんとも言えない悔しい思いに駆られるのだ。
 私達の母星――カニ星の言語を操る同胞は、今も減少の一途を辿っている。
母なるカニ星から続く我が王家の縁の者を除いては、めったに出会うこともないのだ。
 そう遠くない将来、私達カニ星人は、そのほかの生物同様、ただ生きるためだけに食らい、種を残すためだけに交わる生物へと変わってしまうのか。 静謐な海の底で愛を語り合い、はるか高みにゆれる水面の光を愛でる気持ちも、永遠に失われてしまうのか。
 本当に嘆かわしいことだ。 今をもってまだ、横にしか歩けぬ同胞が大多数である。 先達は縦横だけでなく、泳ぐことすらもできたというのに。
彼らの偉大な力は、もはや、永遠に失われてしまったのだ。


 幾種もの支配の変遷を経て、今、この地球を支配している生物――サルから進化を遂げた、自らをヒトと名乗る生命体は、今では我々の一番の天敵である。
 奴らは、水かきすらもたない、陸の上の生き物だ。 水の中では呼吸もままならない。 だが彼らは我々よりも遙かに巨大な体躯を持ち、なにより、すさまじい知能を有している。
 奴らは海のうえにいながら、海底に生きる我々を目に見えない檻に捕まえて連れ去るのだ。 凶悪な知恵の限りを尽くした、恐ろしい罠である。
 海の中ですら、我々は奴らに叶うことはできない。 奴等は、幼生ですら我々の力を軽く凌駕するのだ。 我々に出来ることといえば、浅瀬には近づかないこと、そして、巣穴に逃げ込むことだけだ。
毒を身につけた同胞も居るには居るが、自ら奴らに戦いを挑むものはもういない。


 我々が、ヒトに勝つ事はできない。
 それはもう周知の事実である。 だが驚いたことに、ヒトの世に流伝している昔話の中には、『さるかに合戦』なる物語が存在するらしい。 柿をめぐって欺かれ、殺されたカニの子が、なにやらヒトの生み出したわけのわからん道具やら、蜂やら、植物の実と力をあわせてサルに復讐を遂げるという物語だ。
 ヒトが、何を思いこのような昔話を自ら作り出したのかは定かでないが、たとえ1対1ではないとしても、カニがサルに打ち勝つこの物語は、我々カニ星人の心を慰めた。 たとえ、柿なんかに全然興味はなくとも、復讐というのはそれだけで心を揺さぶるものだ。

 復讐がしたかった。 母を攫い、父を攫った『ヒト』に。
まだ幼い私の名を叫びながら、あの日、見えない檻に捕まえられて連れ攫われた父母は、今はもう、この世にはいないだろう。 私は、復讐がしたかった。 せめて、奴らに一突き、報いてやりたかった。
 だが、愚かなものだ。 結局私も奴らに捕獲され、鋏脚を繰り出す間もなく縛り上げられた。
意識なく運ばれたここは、おそらくは処刑場だ。 死を待つ僅かな間、私は、我々の一族がこの星に綴ってきた歴史に、思いを馳せていた。

 まだ私の言葉を解することのできる同胞たちよ。 どうか、私の無念を忘れないでほしい。
そして、いつの日か再び、この星にカニ星人の楽園を築きあげてくれ。

我々はカニ星人。
誇り高き鎧と鋏の眷属にして、この蒼き惑星の原初の支配者である―――。




「カニ食べてる時ってさ、なんか無口になっちゃうよね。」
「父さん見て、ヒロの超必死な表情。」
「お父さんだって必死だよ。 今日はがっつり元を取って帰るぞ!」
 ホテルの有名バイキングにやってきた家族連れは、剥いた大ぶりの身をカニ酢の器につけ、満面の笑みを浮べた。
誰知らずカニ星人の王は、こうして残らず、彼らの胃袋に収まることとなった。



 了

2010.02.28 Update.

  

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蟹の王、という事でカニ星人のイメージはタラバガニを想像しておりますが、
タラバガニは分類上は十脚目ヤドカリ下目に属していて、正確にはヤドカリの仲間です。

重ねて申し上げるまでもありませんが、本作品はフィクションです。



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