30になってもお互い恋人がいなくて、結婚できる気配とかも全然なくて、
好きな人もいなかったら―――私たち、結婚しようか。

 火をつけたばかりの花火が、手の中で音を立てて燃えている。
宵闇の中、火薬に含まれる硝酸バリウムの緑光に照らし出された彼女が、
そう言った。

 そんなかなしい冗談、言うやつじゃないのに。
失恋っていうのは、こうも人を弱気にさせるらしい。
ぼくは燃え尽きた花火をバケツに入れて、
「いいよ」
とそう答えただけだった。

 ぼくの大学2年の夏は、そうして終わった。
火もつけないまま燃えカスと間違えられて、バケツの中を漂う花火のように、
三関と僕のこの気持ちに、再び火がつくことは、ないのだと思った。





―――――――――――――――――――――――――――――
                『 夏の終わり 』
―――――――――――――――――――――――――――――




 

【1】

 お盆休みを控えた夏の夜の事だった。
ワンルームの自室で、焼酎のコップ片手に海外ドラマのDVDを見ていた僕は、
突然着信音を奏でだした携帯電話を開き、そこに表示されていた名前を見て目を疑った。
 そこには、6年も前に、僕を振った元恋人の名前が表示されていたのだ。
 思わずコップを手から取りこぼしそうになり、DVDプレーヤーをリモコンで止めて、
咳払いして通話ボタンに指をかけた。

―――待てよ?

 僕はそこではっとして、指にこめようとしていた力を抜いた。
 落ち着いて考えろ。 彼女が僕に電話をかけてくる事なんか、あるわけがない。

―――こ、これは単なる、間違い電話かもしれない。

 僕の名前は浜田 守だが、浜田なんて苗字は、なんら珍しくは無い。 同じ苗字の別人と間違えたか、
もしくはその前後にアドレス登録している別人への電話を、操作ミスしてかけてきてるに違いない。
だとしたら、この電話に出た事で傷つくことはあっても、楽しいことなんかひとつもありはしないのだ。
 僕は落ち着くと、黙って携帯を閉じた。

―――もう一度掛けてきたら、取ろう。

 そうして焼酎の瓶からおかわりを継ぎ足し、DVDプレーヤーを再生させて、座椅子の背もたれにぐっと背中を倒す。
ところが、いい所で邪魔が入ったからか、お話しの続きはなんだか左右の耳を通り過ぎるばかりで、
内容が全然頭に入ってこなかった。 コップの焼酎も進まない。
 やけに、時計と携帯ばかりが気にかかる。

 ああ、やっぱり間違い電話だった。 取らなくてよかったよ。
 30分後、僕が心底そう思って溜息をついた瞬間、また携帯が光と振動を伴って、着信音を奏で出した。
 携帯を開く。 そこには、またも彼女の名前があった。
 僕は、一気に胸の辺りに嵐が巻き起こるのを感じた。

―――間違い電話じゃない。

 あわててDVDを停めようとリモコンを探るが何故か見つからず、身を乗り出して手でTVの電源を切ろうとしたら、
その拍子に継ぎ足したばかりの焼酎のコップをひっくり返してしまった。
「カンベンしてくれよ!」
 慌ててコップを立てて、持ってきたタオルをちゃぶ台にたたきつけ、電話に出た。

「…はい。」
 もう一度かかってきたら、できるだけ落ち着いた声で取ろう。
と 思っていたのに、喉から出てきた声は裏返っていた。
「優子です。 …久しぶりだね。」
 その声を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
 いつかの、夕焼けがフラッシュバックする。
鈴の音のような声。 控えめで、でもよく通る、なつかしい声だった。
「ああ。」
『ごめんね、いきなり… 電話しても、大丈夫だった?』
「大、丈夫だよ。 どしたの、いきなり。」
『元気にしてるかな、と思って…』
 酒が回っていることもあって、僕の頭は正常に機能してはいなかった。
 6年間何の連絡も取り合ってないというのに、『元気してるかなと思って』は無いだろう。
振ったのは彼女の方だ。 僕はもっとどっしり構えて、“そんなことより用件は何だよ” と言えばいい。
 もしくは、“掛け間違いじゃないの?” と冷たく言い放ってやるべきなのだ。
「げ、元気だよ。 ゆ、優子は?」
『よかった…うん、私も元気… ごめんね いきなり電話なんかして。 まもちゃん、私の声なんか聞きたくないよね』
 疑問符のついていない疑問形で、不安げに優子が言う。
 しらふなら、きっとこう思っていたことだろう。 “当たり前だろ。 いきなり電話してきてお前 何言ってんだ?”
いや、現実に、今もそう思っている。
「ぜ、全然。 そんなことないって。」
 我が事ながら、本当に不甲斐ない。
『年始に、年賀状を送ったよね。 でもお返事なかったから… この間暑中見舞いも送ったんだけど、やっぱりお返事もらえなくて… 嫌われてるよねそりゃあ、と思ったんだけど、もしかして体調でも崩してたとしたらって、心配になって、電話しちゃった。』
「そ、そうなんだ…」
 年賀状? 暑中見舞い? 何のことか、全然わからなかった。
 僕宛の郵便物にそんなものはなかったし、実家には毎年お盆にしか帰らないから、
実家に僕宛の郵便物が何か届いてたとしたら、親父かおふくろが連絡をくれるはずだ。
 彼女の言っている事を理解できないままに、だけど僕は、『別に無視するつもりはなかった』とか『ちょっと忙しくて』とか、
気がつけばそういったような心象を悪くしないような言葉をえらんで発していた。
 彼女は、本当に? と何度も繰り返した後、
『よかったぁ。 …てっきり、避けられてると思ってた』
 涙ぐんでいる表情が思い浮かぶほど、心底安心したように言った。
今、僕の脳裏では、可愛い彼女のはにかみ顔と、にやついている自分自身を罵倒する自分の声がぶつかっている。
『あのね、まもちゃんに会って話したいことがあるんだけど… お盆って、お休みあるの?』
 ぐちゃぐちゃと理屈っぽいことを並列して思考していた僕の頭は、そこで、一気にふっとんだ。
ただ、心臓だけがドキドキと言っている。
「あ、あるよ。 でも、明日からおれ、実家帰んのよ。」
『お盆休みって、明日の13日から? 日曜までだよね。 全部帰るの?』
「そうするつもりだよ。毎年、盆しか帰らないから。 で、盆明けはちょっと忙しいから、またこっちから連絡させてもらっていいか?」
 彼女は残念そうな声で、うん、それじゃあ待ってるね。 といった。
 その後はとりとめのない話とか、近況の話なんかを1時間ほど話して、僕は電話を切った。
思い切り溜息をついて、焼酎くさい匂いがする濡れたタオルにふれる。
できるだけ何も考えないように、僕は淡々とそれを片付けた。

 明日は朝はやくから車で実家に帰り、午前中いっぱいかけて母方、父方の両家先祖の墓参りに行く。
 早く寝ておこうと ふとんを敷いて横になったけれど、
僕は全然眠れずに、お布団の上を寝返りで行ったり来たりするばかりだった。




【2】

 奔放、という言葉がこれほどぴったりくるヤツを、僕は他に見たことがない。
第一印象も、仲良くなってからも、それはかわらなかった。
 三関美歩はそれほどつかみ所がなく、自我に正直な乱暴者で、常識など何処吹く風といったふうだった。
 学校をサボりまくって何をしているのかと思えば、公園のゴミを拾いを手伝っていたり、
かと思えば、深夜商店街に下ろされたシャッターの全てに落書きを成功させた、唯一の凶悪犯だったり。
バンドを結成して文化祭で大人気になったかと思えば、メンバーをほっぽりだして合唱部に入ったり、
しかもそれも3日でやめて今度は美術部に入ったり。
 学校にスクーターで登校して生徒指導室に呼び出されたとき、真剣な面持ちで「うっかりでした」とうつむいていたのを
見た時には、笑いを通り越して“こいつバカだ”とあきれたものだった。
 寝癖の髪を立てたまま登校してくる事もしょっちゅうだし、授業中は平気でいびきかいて寝てる。
 女の子っぽい丸字ではなく、えらく整ったババくさい字を書く。
とにかく、僕が想像している『女子』という枠からはことごとくはみ出した例外的な女。
そんなヤツだった。
「あら、浜田じゃん。 帰ってきてたんだ。」
 その三関が、2年振りに目の前にいた。
 墓参りを終えて家に帰ってきた夕方。
愛犬の散歩に出かけた河川敷で、三関はショートヘアを風になびかせて、土手の上からこっちを見下ろしていた。
トレーニングTシャツとスパッツの姿で首にタオルをかけている。 どうやらランニング中だったみたいだ。
 近くの階段を、ゆっくりと下りてくる。
「おう、三関。」
「なにしてんの? ハチの散歩?」
 俺が手に持っているリードを見て、三関がいう。
 近くで夕日色の川面をじーっと見つめていた愛犬が、うれしそうに三関の声に反応した。
「墓参りから帰ったばっかりだってのに、親に押し付けられてさー。 久々に帰るなり、コレだよ。」
「あっはっは。 元気だった?」
「まあね」、と僕が答えるのと、
三関が「ハチ〜」と言いながら犬の首をぐりぐり撫でたのはほぼ同時で。
 ハチが元気そうにワンと一声ほえて返事をする。
「そっちかよ。」
「そうかー、ハチは元気かあ。」
「さっき、家からここまで全力でダッシュさせられたからな。 有り余ってるはずだよ。」
「浜田は? 仕事順調? 2年振りだよね。」
「うん。 元気で、順調にやってるよ。」
 東京の大学を出て、東京で就職して、4年。 
その間も、ずっと切れずに続いていた友達たちのなかで、三関は唯一の女友達だった。
「お前は?」
「元気だよ、見ての通りね。 今は修ちゃんトコの居酒屋で働いてる。  みずくさいじゃん、帰ってくるときはいつも電話くれるのに」
「ああ、ゴメン、ちょっと用事あってさ」
 帰るときはいつも電話で連絡して、飲みに出かけていた。
三関は携帯電話を持たない人間なので、用があるときはいつも親父さんと2人暮らしの実家に電話をかけている。
 去年帰ったときと、今年はなんとなく電話はかけなかったけれど。
 僕はお茶を濁した。 気にする風もなく、そう、ま いいや。 と三関は笑う。
「いつまでいるの?」
「あさって、日曜の昼まで。」
「じゃ、それまでにまた飲みに行こうよ。 あ、明日土曜は? あたしちょうど修ちゃんトコだし、あんたが来るだけで飲めるよ。」
「働きに行ってんだろお前」
 思わず笑いがでる。 三関の『そしたら一石二鳥じゃん』っていう判断は、大抵 破綻していることが多い。
「どーせ客いないんだし、いざとなったら修ちゃんががんばるって」
 修治くんは高校の時の2つ上の先輩で、28と若いながらも実家の居酒屋を継いでいた。
 昔ツッパっていた頃に、三関にボコボコにされた事があるので 今も三関には頭が上がらないなんていう噂があるが、
僕は真実は知らない。
 三関と仲良かった事で、僕もなんとなくで仲良くしてもらっていた。
 修治さんは早くに結婚して、一昨年の春に娘さんが生まれたが、その夏に親父さんが亡くなった。
 一昨年に帰ってきたときは、親父さんのお葬式と重なっていたのだ。
 孫の顔は見せられたから、親孝行は十分できただろ、と修治くんは悲しそうに笑っていたっけ。
「ああ。 久々に、修くんトコにも顔出しておかないとな。」
「決まり。 そんじゃね。」
 三関は来たときと同じように、軽い足取りで土手の階段を上がっていった。
 僕とハチは去っていく三関を眺めていたが、あっという間に遠くに見えなくなった。
「早えー…」
 しばらくぼーっと三関の去った方向を見ていたけれど、腕時計が6時半のチャイムを鳴らしたので、ハチのリードを引いた。
「晩飯の時間だなハチ。 そろそろ帰るぞ。」
 ワンという返事を聞いて歩き出すと、目の前の土手の上を、また三関が、今度は反対方向へ引き返していった。
ビィーンと音を立てる、原動機付き自転車に乗って。
「浜田ー、明日は7時からなー。」
 とかなんとか言って手を上げながら、目の前をびゅんと通りすぎていった。
それをポカンとしてまた見送っていた僕と愛犬は、誰もいなくなった後で、一声突っ込んだ。
「スクーターで帰んのかよ!」



「まもるー、これ あんたの言ってた今年の郵便物よ。年賀状とか。」
 夕飯の後で、お茶のんでTVを見ていると、おふくろが去年一年分の郵便物(電話でとっといて、って言っておいたやつ)を
リビングのテーブルに持ってきた。
 一年に一度、お盆にしか帰らないので、実家に届いた郵便物は逐一親が報告してくれている。
 僕は思わず机の上に乗せられた郵便物に身構えた。 …とはいえ、そんなに件数は、多くない。
 12、3件くらい。 年賀状は上のほうに三枚あった。
 内一枚が、三関の年賀状だった。
「ぷっ、なんだよこの年賀状。」
 そこには年賀ハガキに巨大な毛筆で『 あけおめ。 』とだけかかれてあり、左下の余白に
今年の干支と思われる動物の顔が書いてあった。
 字は達筆なのに、絵は相変わらずひどい。
 牛なんだろうと思うが、去年ハガキ一杯に書いてあった鼠のイラストと大差ないような気がする。
描かれた牛は、前歯が出ていた。
「つーか、どっちかっていうと、鼠に見える。 あいつ干支間違えてんじゃないのか。」
 はっと気がつくと、おふくろが、ニヤニヤとした顔で俺を見ていた。
「あんた、ちゃんと東京に彼女のひとりくらいいるんでしょうね。」
「いないよ。」
 寂しい嘘をついても仕方がないので、質問には正直に答えた。
 このやり取りももう、なんだか慣れてきたという感じだ。
この後、おふくろがなんて言うかも想像がつく。
「だらしがないわねー。 それにしても美歩ちゃんはえらいわ、毎年 年賀状くれて。 あんた、美歩ちゃんと付き合えばいいじゃない。」 
「無理あるだろその飛躍は。 つーか、26にもなってこんな無茶苦茶な年賀状送ってくるやつがえらい人間に見えるか。」
 溜息がもれる。
 毎年年賀状の名前を見てるだけで顔もろくに知らないくせに、すでに『美歩ちゃん』呼ばわりしてるが、
実際の三関は、おふくろの想像している『美歩ちゃん』とは全然ベクトルがちがうのだ。
「三関は、そんなんじゃないよ。 ただの友達だってば。」
「ただの友達で留めておこうってのが、あんたのだらしないとこなのよ。 自覚しなさいな。」
 その厚かましさこそおふくろの自覚すべき所だろう、と喉まで出かかったけれど、
これ以上嫌味を言われるのも癪だし、言うのはやめておいた。
 三関がどうこうってのは想像もできない話だけど、その他に関しては詮索されたくない、っていうのもある。
なので一言だけ、反論する。
「ほっとけ。」
 これは反論とは、言わないか。

 もう一枚の年賀状は、友達の勤めてる美容室の割引クーポンだった。
 最後の一枚は……。

 その名前を見て、僕は思わず瞬きした。
 葛城優子。

「おふくろ。 これ、いつ来たの。」
「2日か、3日だったかな。 三が日中には、全部届いたわよ。 ちゃんと届いたとき、言ったよね?」
「き、聞いてねえよ、この名前は。」
 あきらかに動揺を隠せてない俺の声は、おふくろの勘を起動させたらしい。
「あらヤダ。 母さんひょっとしてポカやっちゃったかしら。 東京の元カノとか?」 
しかも、その勘はズバリ当たってる。

 優子が送ったという暑中見舞いも、郵便物の束の中に確かに存在した。
おふくろは、「ああ、それ。 もうすぐ帰ってくるだろうと思ったから、特別連絡はしなかったのよ」とあっけらかんに言う。
「なんなの? そんなに未練ある娘なの?」
うれしそうなおふくろに僕は返事をせず、携帯を片手にベランダに出た。

『明けましておめでとう。
 長いこと、連絡もせずにごめんなさい。 また会いたいです。』

 そうとだけ書かれた年賀状。
三関の年賀状とは程遠い、しゃれたプリントはがきだった。
複雑な心境で裏面を返すと、差出人のところにアドレスと電話番号が書かれてあった。
 僕はそのはがきをジーンズの尻ポケットに入れた。
 一本だけ残っていたタバコに火をつけて、深くひと息をつく。

 ゆらゆらとベランダで螺旋をまく煙が、夏の記憶を呼び起こしてゆく。




【3】

 葛城優子とは、幼稚園の頃からの幼馴染だった。
当時は家が近かったけれど、彼女は高校2年の夏に、東京に引っ越した。
という所まで言ってしまったら、もう、僕がなぜ東京の大学を選んだとか、
その辺りの事情は、大抵の人が気づいてしまう。
それくらい僕は、わかりやすい恋愛感情を彼女に抱いていた。
しかも、幼稚園の時から。
われながら、何年片想いしてるんだよって、すでに中学生の時ぐらいから思っていた。

 母親が、今年彼女の送ってきた年賀状を見ても反応しないのは、
彼女が昔は、葛城ではなかったからだ。
駒井っていうのが、彼女の旧姓だった。
 おふくろは、昔よく一緒に遊んでいた近所の駒井優子ちゃんが、結婚して葛城優子さんになっていたなんて話、
知る由もない。
 息子は大学2年の時に駒井優子に振られている。
それだけの情報じゃ、見もしない東京の住所から送られてきた『優子』なんてありきたりな名前の年賀状を見ても、
なにも気がつきはしないだろう。

 駒井優子を追いかけて、僕は親に頼み込んで私立の中学校に入った。
そして3年が経つと、今度は彼女と同じ県立の進学校を受験した。
 ストーカーの一歩手前くらいまで迫っていた僕の恋愛感情は、それまで一度も報われなかったわけではなかった。
小学校で一度振られ、中学で一度振られたけれど、高校2年の時、彼女は一度、僕を選んでくれた。
夏の間だけの恋人は、その年の夏の終わりとともに東京へと引っ越した。
結果として振られたけれど、僕はぜったいに同じ大学に行くのだと決意を新たにして勉強した。
 おふくろと親父には彼女の事は伏せて、『自分の可能性を試したい』とかそれらしい事を言っていたけれど、全部バレていた。
携帯を持っていなかった彼女をつなぎとめるために、こそこそと東京の住所へ年賀状や手紙を送っていたからだ。
親は何も言わずに見守ってくれていた。
 そして春。 無事同じ大学に入学できた僕たちは、再び付き合い始めた。
人生のハッピーエンドがきたのだとおもった。

 僕は、自分こそが、彼女を誰より好きだとずっと思っていた。
冷静になった今思うと、その盲目的な気持ちは、危うげでとても恥ずかしい。
 大学2年になり、彼女が急によそよそしくなった。
『別に』 とか 『なんで?』 という返事は数えるまでもなく多くなった。
だけど、振られはしなかった。
 結局最後まで。 僕が別れの言葉を、彼女の口から聞かされることはなかったのだ。

 2人の終わりは、突然にやってきた。
2年生の夏、彼女はカツラギという、見たことも無い大人の男の人と結婚してしまったのだ。


 彼女が結婚した後ほどなくして、サークルの帰り、
夕暮れの電車で、カツラギ優子と二人っきりになったことが一度だけあった。
 沈黙に耐えかねたのか、彼女は目に涙をため、あたまひとつ背の高い僕の顔を見上げた。
『まもちゃん。 ゴメンね。』
 消え入りそうなその『ゴメン』には、いくつ意味が込められていたのだろう。

 もうサヨナラなの。 ごめんね。
他にカツラギさんて人と付き合ってたの。 ごめんね。
結婚するって言わなかったの、ごめんね。
私達付き合ってるのにね。 何も言わなくて、ごめんね。

 そんな4文字じゃ足りねえよ。 何週間苦しんでもまだ晴れないこの気持ちはなんだ?
そりゃ一体 どういう意味なんだよ。
 ぐるぐるとずっと胸の中に渦巻いていた気持ちは、驚くべき言葉になって僕の口から飛び出した。
『いいよ!』
 長い髪の彼女が、はっと息を呑む。
『優子がそう決めたんなら、俺は…もういいよ。 いろいろ、言いたい事とか、そりゃああるけど。 そんなの、言わなくたっていい事だ。 俺が言うの、変かもしれないけど、その、幸せになってほしいと、おもってるから。』
 付き合う前も、高校時代も、大学1年の時も、僕は彼女を『優子』と呼び捨てにすることができずにいた。
名前で呼べたら、どれだけ幸せだろうなんてずっと思っていたのだ。
きっと ものすごい脳内麻薬が出てしまうぞ、と、独りで想像してはニヤニヤしていた。
まさか、『駒井』じゃなくなって、なんて呼べば良いかわからなくなった時が、その時だなんて。

 しかも僕は、なんだかとんでもない奇麗事ばっかり口にしていた。

『まもちゃん……』
 彼女は涙を流し、僕のTシャツの袖をぎゅっと握った。
そして目を閉じて、背伸びをして、 唇で、僕の唇に触れた。
 夕焼けのオレンジ色に染められた車内で、高架橋のトラスが繰り返すストライプの影が、彼女の表情に重なった。
僕は瞬きもできずに、その様子を見ていた。

 それ以来、僕は彼女と言葉を交わしていない。
メールも。
ほどなくして彼女は、サークルからも、大学からも去ってしまった。

 それが大学2年の夏の事。
その年の夏休み僕は、実家に帰ってきてこの先一生分くらいになるだろう涙を流した。
三関とか修治くんとか、他の友達とかに片っ端から電話をかけて、
バイトでためた貯金がカラになるくらいまで飲んだ。
 そのお金だって、「彼女とデートしよう」とか、「旅行したい」とか、「将来絶対要るから!」みたいな事を
独りで思って貯めた金だった。
 何をしていても、全部彼女の事を思い出した。 そんな事ばっかりで、ずっと苦しかった。

 彼女はすぐに僕のことを携帯電話のメモリーから消し去っただろう。
何にも、あまり未練を持たない人だったから、僕はそうだろうと思った。
 2年で大学を辞めた部員の事なんて、先輩も、後輩も、すぐに忘れてしまうだろう。
だけど僕は彼女との事を忘れたくなくて、どれだけ泣いても、携帯電話のメモリーは消さないでいた。
彼女がいなくなって 当初の入部した意味を失ったテニスサークルで、
僕はずっとコートの上を走り続けた。
 そうして実力を上げていくのと同時に、徐々に冷静になっていったのだ。
時間が経つと、やはり別の誰かを好きになったりして、そのうちの何人とは、付き合ったりもした。
彼女のことはもう乗り越えた。 そう思っていた。

 それとも、ただ冷静になったつもりだったのか?
苦しく胸を打つ、鼓動とは違う何かを感じて、タバコの味がよくわからない。

 『葛城優子』は、何のために、今になって僕に連絡をよこしたのか?
電話で言っていた“会って話したいこと”とは、一体なんのことなのか?

 ただのはがき二枚が、僕の人生の重要な鍵のような気がして、
僕は、ジーンズがずり下がるのではないかと思うくらいのプレッシャーを、お尻のポケットに感じていた。
 携帯電話を開くと、僕のメモリーの『か行』の下段に、彼女はまだ存在する。
はがきに印刷されているのとまったく同じその番号とアドレスを呼び出して、
僕は途方にくれた。




【4】

 翌日の土曜日。
朝、ハチの散歩にまた河川敷に来ると、軽快な足音とともに土手の上を三関が走っていた。
「よう。」
「おー。 おはよう三関。」
 時刻はまだ朝の6時をすこし過ぎたばかりだ。
ひたいの汗を首にかけたタオルでぬぐって、三関も「おはよう」 と笑顔を見せる。
「ハチもおはよう〜」
 ぐりぐり首を撫でられる愛犬は、ちぎれんばかりにしっぽを振って喜んでいる。
「1+1は な〜んだ?」
「ワン!」
「残念ー! おしいぞハチ!」
 またぐりぐりと撫でる。 ハチは大喜びだ。
そういえば、学校の外でばったり三関と会うときは、昔からいつもハチの散歩をしているときだった。
なんとなく、ハチの目線にかがみこんでいる三関の、スパッツに包まれたしなやかな足や腰が目に入って、
僕は思わず目をそらす。
毎年おふくろが変なこと言うものだから、なんだか調子が狂っている。

 来るときに買ってきたタバコを一本取り出して、火をつけた。
リードの巻き取りスイッチをフリーにして、ハチにたばこ吸うぞ、と一声かける。
ハチは何度も三関を振り返りながらも、俺達から離れて遊びに出かけた。
「ペットも副流煙の影響とかあるの?」
「あるらしいよ。 おれんち屋内は完全喫煙だもん。 あいつもたばこの臭いあんま好きじゃないみたいだし。 服についてる程度のは大丈夫みたいだけどね。」
「ふうん、そうなんだ。」
 三関は納得したように遠くのハチを見つめた。
 ハチの方も、じっと三関の顔を見ている。
あいかわらず、それで飛んでいきそうなほど 尻尾を左右に振りながら。

 僕は、先日の電話と年賀状の事を、三関に話そうかどうか躊躇った。
大学2年の夏の最後を、俺と一緒にこの河川敷で過ごしたのは三関だ。
だから、だれかに相談するとしたら、この事は三関に一番に相談するべきだと思った。
「あのさ。」
 そう思って声をかけたけれど、振り向いた三関の顔を見た瞬間、
僕は話題を変えていた。
「今日、7時だっけ。 修治くんち集合。」
「そ、7時。 もう修ちゃんには言っておいたよ。」
「サンキュ。」
「修ちゃんも、あんたに会うの楽しみしてたよ。 あと、そうだ。 なんか金返せとか言ってたけど、あんた金借りてんの?」
「借りてねーよ。」
 いいかげんなんだから、ほんとにあの人は。
苦笑いして煙を一息吸う。
三関も、そうだね、と笑った。
 ハチは、相変わらず三関にかまってほしそうに尻尾を振っている。

 吸い終えたタバコの火を靴のかかとで消して吸殻を落とすと、
三関が「ああ」と目敏く拾い上げた。
「ポイ捨てするなよ。 携帯灰皿持ってないの?」
えらくまともな事を言うので、僕は思わず面食らう。
「持ってきてない。」
「マナー違反だな。」
とがめるような目で僕の顔を見る。
「ちょっと待てよ。 学生時代は、お前とか修治くんとかと、山ほど酎ハイの空き缶とかビールの空き瓶とかをポイ捨てしてたと思うけど」
「それとこれとは別。 罰としてそこらへんに落ちている花火の残骸とかを拾えよ」
 近くに落ちていたゴミ入りのコンビニ袋を僕に手渡しして、三関は『ホラ』とあごで指図する。
それとこれとは別って、完全に同じ話だろ。 僕はあきれながらも、
持ってきたハチ用のビニール袋は取っておきたかったので、しぶしぶそれを受け取った。
 ワン、とほえた愛犬を見ると、ヤツは近くに落ちていた別のゴミ入り袋を咥えて、三関にプレゼントしていた。
――我が愛犬ながら、なんてゴマすりの得意なヤツ!
「ハチは頭いいね〜」
ハチを撫でくりまわす三関に向かって、僕はニヤニヤ顔を隠さずに言った。
「『お前も拾え』って言ってんだよ。 ハチ公さまはよ。」
 ぴくりと三関が反応する。
 悪気のないハチは、相変わらず大喜びで尻尾をふりふりしている。
「あ、あたしは今ランニング中で」
「えー…っと、何なにー? この尻尾のサインによるとだな……『それとこれとは、話が別だ、この野郎!』と仰ってるぞ。」
「絶対言ってない!」
「でもさー、お前 今誉めちゃったろ。 ほっといたらコイツ、お前が殴るまでゴミ集めまくってくるぞ。」
 昔っからハチは、三関の喜ぶことは最優先課題だと思い込んでいるフシがある。
呆気にとられた表情の三関と顔を見合わせ、
気がつくと二人して笑っていた。
「わかったよ。」
 諦めて僕たちは、二人と一匹で河川敷のゴミをひろい始めた。


 昇り途中の太陽にじりじりと焼かれながら、
30分ほどかけて家庭用ゴミ袋約ふた袋分くらいになるであろうゴミを集めた僕たちは、
汗だくになって座り込んだ。
「あーもーつかれた。 なんで朝からこんな重労働してるんだ、おれ。」
 三関も苦笑いで、タオルで汗をぬぐっている。
 そこで僕はひとつ、重要なことに気がついた。
「ていうか、このゴミ。 集めたはいいけど回収はどうすんの。」
小さなコンビニ袋につめたゴミがいくつも積みあがっている山を見る。
美化活動どころか、単にゴミを目立つようにしただけじゃないのか、と不安に思っていると、
三関はなんという風もなく答える。
「大丈夫。 そこの、土手を反対側に下りた所に、ゴミ捨て場があるの。」
「あ、そう。」
もう一仕事、残っているわけね。
 三関はさっとポケットから大型のゴミ袋を出すと、あつめたゴミをぽいぽいと放り込みはじめた。
「っていうかその袋、今どこから出したんだよ。」
「え、ポケット。」
「まさか、いつもあちこち掃除してまわってるのか?」
そういえば三関のやつ、高校の時学校サボって公園で地域清掃のボランティアに参加してた事があったな、と思い出す。
ちょっと関心したものの、三関はサバサバとした表情で、
「たまにね、気が向いたときだけ。」
と言った。
 こういうとき、本当に彼女が何を考えているかがよくわからない。
そうだ、良く考えたら三関には、そうやってボランティアで学校をサボっていたことがわかった次の週、
近くの商店街の、全店舗のシャッターへの落書きを成功させていた。
あのスプレー缶に入っていたガスで、いったいどれだけの環境が破壊されたことだろう。
 彼女の行動の基本理念は
『あ、なんかやってみたくなって。』
という一言に始終するので、 エコロジストなんだ! とか、安易な思い込みは通じない。

 実害はないけど疲れるな、三関と関わると。
僕はなつかしい疲れを覚えながら、彼女のゴミ詰めに付き合った。
大きなゴミ袋2袋分をひと袋につめるので相当力をこめてやっていたら、
すぐそばで愛犬ハチ公もどうやら思いっきりきばっていたらしく、
やっと終わったと思って顔を上げたときには、別のビニールに袋詰めしなくてはいけないゴミがひとつ増えていた。
 すぐそばで三関の笑う声を聞きながら、僕は疲れと笑いの入り混じったよくわからないテンションで、
愛犬を指差して、言った。
「お前、仕事増やすなよ!」




【5】

 7時から三関と飲んでくる。
というと、おふくろはにわかに色めきたった。
「ちょ、ちょっと。 私の言った事本気にしないでよ?」
困ったわね、と鼻の下を伸ばして取り繕うような表情を浮かべている。
「アホか。 修治くんの店で3人で飲むだけだよ。 晩飯はいらないから。」
「あんたね。 そういうことは前もって言ってよ。」
 今6時半じゃないの、あんたの分も買ってるんだからとぼやくおふくろに、
僕は明日食べるよと空返事して、玄関でサンダルを履いた。
 外に出ると、ハチが期待に満ちた目でこちらを見ている。
目があった。 ハチが言いたい事はよくわかってる。

 ―― あっ、散歩っすか?!

 そんなわけはない。
我が愛犬ながら、こいつは物忘れが良すぎる。
「ごめんなハチ。 散歩はさっき行ったろ。」
 僕はその鼻をなでて、門から外にでた。

 7時近くになると、だんだんと日が傾いてくるが、それでも外はまだ明るい。
 おばちゃんが打ち水したばかりの道を、Tシャツ、ジーパンにサンダル履きで僕は歩く。
足元に長く伸びた影を引き連れての道すがらも、蝉は止むことなくあちこちで呼び声をたてている。
ヒグラシなら涼しげでいいが、相変わらずアブラゼミが多勢だ。
ヤツらのあの求愛の儀式は、進化する事はないのだろうか。 とすこし呆気に思う。
 交差点をわたり、商店街のアーケードに入ると、蝉の音はだんだんと遠のいていく。
修治くんちの居酒屋はすぐ近くだ。
二つ目の交差点を右に曲がって、三件目。
『お盆も休まず営業!!』と看板のたった居酒屋 『ゆるり』は、2年前とまったく変わらない佇まいで、そこにあった。

「はい いらっしゃい!!」
 引き戸を開けるなり、修治くんの威勢の良い声がする。
「おー、来たな、守! 待ってたぞ」
すっかり日に焼けた顔にバンダナを巻いて、オリジナルのゆるりTシャツを着た先輩がにっこりと笑った。
その表情は、野球をやってた高校時代そのままだ。
変わらないなあ、修治さんは。
 おそろいの『ゆるりT』を着た三関も、振り向いて元気の良い声を上げた。
「いらっしゃい!」
「おう。」
「奥上がれよ、ちょうどまだひとつ、奥の座敷が空いてるから。」
 カウンターの中から修治くんに促されて、僕は三関の後について座敷に上がった。
2年前のお盆は臨時休業で閑散としていた店内は、今日はカウンターも座敷もほとんど埋まっていて、結構盛況のようだ。
「おい、ちょっと混んでるんじゃないか。 これ、俺ひとりカウンターで飲んだほうが…」
 三関は大丈夫だって、と笑って返す。
「あたしもう上がりだから。 そっからは奥さんと代わるから、問題なし。」
 座敷席に通されると、生だよね、と目で合図して、三関はカウンターの方に戻っていった。
店内は狭いなりにもがやがやと賑やかで、客はみんな笑顔だ。
客として入るのは本当に久しぶりだけれど、やはり雰囲気の良い店だなと思う。
 5分ほど待つと、両手に中ジョッキを持った三関が帰ってきた。
「はい、ビールお待ち。」
といってひとつ僕に手渡して、向かいに座る。
「あれ、上がりじゃなかったの?」
「うん、もう終わったよ。」
「そのわりには、まだゆるりTなんだな。」
「あ、これ? 今日の私服だから。」
ごめんねちょっと汗かいたままだけど。 と三関は笑った。
「いや気にしないけど。 でも、それじゃお前…」
 僕が心配事を口にするより早く、となりの座敷に座っていたおっちゃんが三関の肩をつつく。
そして空になったグラスを二つ三関にぐいと突きつけて、
「お姉ちゃん、生おかわり! ふたつ!!」
 三関は苦笑いしながら「ゴメンねおっちゃん、あたしもう今日は仕事上がってるから。 お客なの。」と言ったが、
おっちゃんは7時ちょい過ぎにしてもう相当酔いが回ってるらしく、
「おー、そうか、そうか!なるほどなー!!  あ、生ふたつね!!」 
と全く聞く耳を持ってない。
「だから、あたしもお客なんだってば。」
「自覚しろ、お前は。 どっからどう見たって、店員だろ。 そのTシャツ着てりゃ…」
僕はあきれて突っ込むと、三関も苦笑いで、
「生二丁入りまーす!」
とカウンターに声を上げた。
遠くから、あいよー、という修治くんの威勢の良い返事が返ってきた。

「乾杯ー!」
 とりあえず修治くんは1秒も手を離せそうにないので、僕たちは二人で乾杯した。
一口でジョッキの半分を飲み干して、「ぷはー」と喜びに満ちた息をつく。
「うまいなあ」
「うまいねえ」
「腹減ったよ、何か食べよう」
「あたし焼き鳥。 せせりとはさみと…」
 言いながら伝票にせっせと書き込んでいく。
記入を終えると、それを持ってカウンターに戻っていった。
「せせり ずりが塩 はさみ み がたれで それぞれ2丁  からあげが1丁ではいりまーす」
「あいよー」
やっぱ店員じゃねえか。 僕は彼女に見えないように壁のほうを向いて笑った。



 駒井優子にフラれた夏。
あの夏の最後を、僕が一緒に過ごしたのは、目の前に座る三関だった。
 今朝ゴミ拾いをしたあの河川敷で、買い込んできたビール缶を片手に、花火をしながら。
僕たちは人生最悪の夏の終わりを過ごしていた。
 あの夏、彼女も僕と同じように 叶え切れなかった気持ちを持て余していたのだ。

 彼女は奔放だ。 やりたいことをやるのに物怖じしない。
だから好きな男に気持ちを伝えることなんて、造作もないことなのだと無意識に思ってた。
ところが、彼女はその男に長いこと、好きだったことが言えかったのだそうだ。

『勇気を出して告白したけど、無かった事にされた。 他に好きな人がいるから、って。』

 実家から持ってきた花火に火を点して、そっとその光を眺める。
伏目がちな三関は、今まで見たことのない表情をしていた。
 その表情を見て、僕は『綺麗だ』と思った。
こいつを振る男は、底抜けのバカだ、とも。

そして、
『無かった事にされた。』
その言葉が、どれほど僕の胸をついたことだろう。
唐突にその言葉が、僕の頭に鈍器の一撃のようなショックを与えたのだ。
 ―――ああ、 そうだ。
俺も 無かったことに、されたんだ。


 沢山デートした記憶も
好きなアーティストのライブを見に行った記憶も
分け合ったお昼ご飯も
つないだ手の温度も
励ましあった言葉も
僕の ずっと好きだという この気持ちも
全部無かったことにされた。
終わりの言葉もなにもなく。
ごめんねというたった4文字で。

 なんだったんだろう。 俺の幼稚園の頃からのこの気持ちは。
ずっと、他のだれより彼女の事が好きだと胸を張っていられた その原動力は。
結果は、ただの独りよがりだ。

『最低のアホだ、そいつ。 無かったことにするなんて。』
 僕の言葉を聞いた三関は、哀しそうな苦笑いだった。
『私は、結果としては助かったと思っているけどね』
『なんでお前、そんなに割り切れんだよ。』
『なんでだろうね…』

 夜風がさあと吹いて、彼女の短い髪をゆらす。
『ねえ。』
と、三関がすこし投げやりな、やさしい声で言った。

『30になってもお互い恋人がいなくて、結婚できる気配とかも全然なくて、
 好きな人もいなかったら―――私たち、結婚しようか。』

 火をつけたばかりの花火が、手の中で音を立てて燃えている。
宵闇の中、火薬に含まれる硝酸バリウムの緑光に照らし出された彼女が、
そう言った。

 そんなかなしい冗談、言うやつじゃないのに。
失恋っていうのは、こうも人を弱気にさせるらしい。
ぼくは燃え尽きた花火をバケツに入れて、
『いいよ』
とそう答えただけだった。

 ぼくの大学2年の夏は、そうして終わった。
火もつけないまま燃えカスと間違えられて、バケツの中を漂う花火のように、
三関と僕のこの気持ちに、再び火がつくことは、ないのだと思った。




【6】

「あー、おなか一杯。 旨かったよ、ありがとう修治くん」
「そーかそーか、そりゃよかったよ。」
 結局閉店時間の11時ギリギリまで居座った僕たちは、
お会計を済ませて、修治くんにお礼を言った。
「修治くん、最後のほうしか一緒に飲めなかったね、ごめん。 次は定休日にくるから」
「定休日まで俺に仕事させる気かよ」
 割引ですこし多くなったおつりを手渡し、修治くんは笑う。
あ、そうだ、と思い出すように言って、カウンターの奥から自宅へ入っていって、
A4大のスーパーの手提げ袋をもって戻ってきた。
「今年は、花火もうやったか?」
「やってない。」
「じゃあ、これやるよ。 三関と一緒にいつもの河川敷で2次会でもしな。 もらったんだけど、ウチ子供がちっさくてさ。」
 袋の中には、ファミリーパックと書かれた小ぶりな花火セットがはいっていた。
噴き上がるような豪華なヤツじゃなくて、手持ち花火が数種類と、ほんのちょっとの打ち上げ花火が一緒になっているやつだ。
「ああ。 …三関、どうする?」
「いいじゃん、やろうよ。」
「花火なんか久々だな。」
「ほれ、これももって行けよ」
 修治くんがそう言って手渡してくれたのは、虫除けスプレーの缶と、子供用の小さなバケツだった。

 途中コンビニに寄って、缶のビールやら酎ハイやら、つまみやらを買って、僕たちは河川敷を目指した。
 空は満月に照らし出されて、まばらに浮かぶ雲のほかは深い青色をしていた。
だけど、星もたくさん見える。
澄んだ夜の風が心地良い。
近くを走る高速道路のオレンジの照明が、川面に浮かぶ波を三角のオレンジ色に照らしていた。
 土手の急な階段を降りて、舗装された川岸に近づいた。
すこし離れたところで、他にも花火をしに来た中高生の5人組がいた。
僕たちは邪魔にならないようにバケツに水を汲むと、今朝片付けたばかりの場所に座り込んで、コンビニの袋を開いた。
「あたしジーマー。」
「あっ、それ俺の買ったやつじゃねえかよ。」
「いいじゃん。 細かい事気にするなって。」
 三関は良い感じにほろ酔いらしく、赤い顔をして僕の買った酒を手に「しまった、栓抜きを忘れたね」と顔をしかめている。
「貸せよ」
三関からジーマのボトルを受け取り、近くのコンクリートのブロックにビン栓のふちをのせ、上から掌を叩きつける。
小気味のよい音をたてて、栓は地面に落ちた。
掃除したばかりだしな、と落ちたフタを拾い上げて、セットで三関に返した。
「あっ、こんな事、前にもあったよね。」
 三関はにんまりと笑いながら言った。
「山ほどあるだろ。 ここに来るときは大抵は酔っ払ってて、栓抜きを忘れる。 で、よりにもよって修治くんが店から持ってくるのは瓶ビールなんだ。」
 栓抜きを忘れたときの瓶栓の開け方を、一度三関に教えた事があった。
さっきと同じやり方。 ただ、その時は思いっきり中身を振った瓶ビールだったけど。
あの時の三関のビビリようったら、傑作だったな。
以来、三関は栓抜きなしで瓶を空ける事ができない。
 僕は思い出し笑いしながら花火の袋を開いて、種火用のろうそくにライターで火をつけた。
風は困るほど吹いていないので、火は簡単についた。
「花火なんてすげー久しぶりだ。」
「あんたさっきからそればっかだねぇ。」
 手始めに一本、オーソドックスなやつを取り出して三関に手渡す。
あとは自分で好きなのとれよ、と袋を大きく広げて間に置く。
「何年ぶりくらい?」
「大学2年の時に、お前とここでやって以来かな」
「そうなんだ。」
「お前は?」
「あたしも同じ。」
 じゃあなんだ、6年ぶりってことになるのか。
「そっか。 俺たちもう、26になるんだ。」
 思わず口に出してしまった言葉に、三関も苦笑いした。
「そうだよ。 時間が経つのって早いよなあ、最近ほんと思う。」
 三関の花火に火がついた。
アルミニウムの燃える金色の炎が、雨のような音を立てて筒先から煌く。
「おー、きれいだなー」
 三関はアルコールで妙に座った目で、その炎を見つめていた。
僕は取り出したビールのプルタブを起こして、スパークする花火を手に取った。

 今年と、去年と。
帰ってきても三関に連絡を取ろうとしなかったのは、本当は理由がある。
 大学2年の夏、ここで三関と交わした約束が、僕の心に引っかかっていたからだ。

『30になってもお互い恋人がいなくて、結婚できる気配とかも全然なくて、
 好きな人もいなかったら―――私たち、結婚しようか』

 それは失恋した者同士の、酔っ払った哀しい冗談だったと思う。
だけれど、僕はどうしてもその時の言葉と、三関の表情を忘れることができない。
だから、なんとなく三関を避けるようになった。

 26歳になったけど相変わらず独り身で、一向に新しい恋人が出来る気配なんか無い。
それどころか好きになれそうな人すら身の回りにはいない。
もう何年も長いこと、僕は独りだ。
長い夜を出来合いの料理と借りてきたDVDで紛らわす事にも、もうなれた。
 そして三関と2人っきりで飲んだりバカ話したりする事こそ、慣れていたはずなのに、
それが無意識に避けなくてはいけないように思えてきた。
だから今年も去年も、帰る時には、彼女に何も告げなかったのだ。

 三関はどうなんだろう。 あの夏の、あの夜以来、三関と結婚がどうのなんて話はしたことがなかった。
少なくとも、三関の表情からそれを窺い知る事はできない。
 手に持った筒の先から、赤色のスパークがバチバチと音を立てて燃える。
「あっ、何それ。 浜田のやつの方がカッコイイじゃん。 どれ取ったの?」
三関は目を輝かせて、僕の花火を見ている。
 僕はジーンズのお尻のポケットに意識を集中した。
 三関がジーマの瓶を空けて、ゴミ用の袋に入れた。
「あのさ。」
「…うん?」

 さあ、と風が吹いて、三関の髪と、種火の炎を揺らした。
「駒井優子って、覚えてる?」
三関はにんまりと笑った。
「ああ、浜田の元カノだよね。 ハタチの時にあんたをこっぴどく振った同級生。」
「そう。」
「覚えてるよ。 それがどうかしたの?」
 三関は片手で花火を持ったまま、もう一方の手で新しい酒の缶を選んだ。
片手でプルタブを起こそうとするけど、うまくいかない。
缶に悪戦苦闘して手元を見ている三関に、僕は静かに言った。
「あいつから連絡が来たんだ。 また会いたいって。」
カチカチと、プルタブを触る音が止まる。 三関は顔を上げて、僕を見た。
あれっ? と軽い調子で首をかしげて、
「駒井優子って、結婚したんじゃなかったっけ?」
「そうだよ。 年始に送ってきた年賀状も葛城の姓のままだった。 多分今もそうだろ。」
「えー、なに、なんかヤだなー。 それって。」
思案するように眉を寄せる。
 僕は彼女の手から缶を引き取り、プルタブを起こして、その手に返した。
「ありがと。」
「ああ。 ……で、どういうつもりかわからなくって、考えてるんだ。」
「どうもこうも。 それってさ」
三関は飲まないまま、その缶を傍らにおいた。
「希望的に考えれば、浜田とヨリを戻したいってことなんじゃないの?」
「………そうなのかなぁ。 希望的じゃないほうは?」
「どう考えても ねずみ講か宗教の勧誘だね!」
「なんだよ!」
 僕たちは声を上げて笑った。
ひーひー言って息をきらせたあとで、目尻を押さえながら三関は言った。
「なんだ、浜田。 考えてるって、まだ駒井優子の事好きなんだね。」

 三関の持っている花火が、最後の音を立てて消える。
バケツにいれて、次の花火を選ぶ。
「そりゃあ、そうか。 あれだけ酔っ払って泣きまくるほどだもの。 こどもみたいに。」
思い出すように、困ったやつだと笑って、袋をがさがさと探りながら。
「よかったじゃん。 一度、電話してみなよ。 案外、希望的なほうかもしれないぜ。」


 僕はまだ彼女のことが好きなのだろうか。
『ごめんね』という一言で全てなかった事にした彼女の事を。
まだ好きだといえるのか?
 彼女のことを思い出すたび、僕の胸には息苦しさしか湧き上がってこない。
楽しかった記憶が、楽しければ楽しいほど、胸の苦しみは重症になった。
そして今まで、その事を意識して考えないように生きてきた。

 一度好きになった人を、嫌いになる事を、僕は経験したことがなかった。
最悪の振られ方をして、なんの説明もなく別れる羽目になっても、
それが原因で何度も泣いても、心の中で口汚くののしってみても。
僕は結局のところ、優子を嫌いになれてはいないのだと思う。

 少なくとも、無かったことにはしたくなかった。
彼女の中で僕の事はもう終わったのだとしても。
 携帯に未練がましく残したメモリーも、この胸の苦しさも、
全てはそれを裏付ける証拠に他ならない。


「…そうするよ。」
 三関は、うん、と頷いて缶酎ハイをひとくち飲んだ。
そして、新しい花火に火をつけた。

「あー、そうだ…。 あたしの話も、ちょっと聞いてくれるかな。」
「うん。」
 花火の中の硝酸バリウムが燃え、緑色の光が彼女の横顔を染めた。
自嘲気味な笑顔で、彼女は言う。
「実はあたしもね、実はまだずっと好きなんだ。」
「ハタチの頃、好きだったやつの事?」
 うん、と彼女は頷く。
「自分でも、あきれるんだけど。ずっとね。」
 緑の光を見ていた視線を僕に戻す。
酔っ払った赤い顔は、微笑んで言った。
「あれね、浜田の事なんだ。」

「…えっ?」
 一瞬、三関が何て言ったのか、理解できなかった。
「私が好きなのは、浜田だよ。」
 もう一度言い、硬直する僕を見て、三関は目を伏せた。
「ちょ、ちょっと待てよ。 冗談か?」
「ひど。 冗談なわけないでしょ、この流れで。」
 僕は急にお酒が脳に回るのを感じたまま、とりあえず三関を制して頭を働かせた。
三関の好きだったやつは、僕だって? それは、おかしい。
「お前が高校の時から好きだったっていうやつは、お前を一度振ったんだろ?」
僕にはそんな記憶はなかった。
やっぱりね、と三関は恨めしそうな目で僕を見た。
「やっぱり、初耳なんだよね。 覚えてないんだ。 ハタチの時、浜田が失恋して毎晩飲みまくってた頃。 夏休みの初め頃かな、駒井優子に振られてすぐの時。 チャンスだと思って、告白したの。 修ちゃんと3人で飲んでる時。」
「げッ」
 思わず、ぎくりとしたのが声にでた。
あのときは、アルコール中毒寸前まで飲みまくっていて、連日家に帰った記憶がなかった。
飲み屋のポリバケツを抱きしめて寝ていたこともある。
 唐突に三関が、あの花火の夜に言っていた言葉が脳裏に浮かんだ。


――― 『勇気を出して告白したけど、無かった事にされた。 他に好きな人がいるから、って。』


 はあ、と三関は溜息をついて苦笑いした。
「ま、無理もないか。」
「…おれ、なんて言ったの?」
「振られたけどやっぱり駒井優子が好きだから、他のヤツの事考えられないし、お前とはずっと友達でいたいから、今のは聞かなかったことにする、って。」
俺、そんなこと言ったのか。 まったく記憶がない。
「そ、そうか…。」
 となりのグループが打ち上げた花火が、パン、と音を立てて空で弾ける。
会話が途切れ、混乱したままの僕はまた質問した。
「……いつから?」
「高校1年の時。 浜田が週番で、インフルエンザで休んでた私に連絡表持ってきてくれた事があって。」
三関は恥ずかしそうにあさっての方向を見て言った。
「その日は、他に山崎が休んでて。 お前、あたしんちに山崎のやつを持ってきたんだよ」
…その話は、もっと覚えていなかった。
「あたし、病欠じゃなくても結構ズル休み多かったし、クラスでも浮いてたから、わざと用意してもらえなかったんだって、後で他の子から聞いた。 浜田はその事言わなかったけど、山崎には俺が口頭で伝えるからって、山崎の連絡表と、自分のノートの写しを持ってきたんだ。 …で、いいやつだと思って…」
 手うちわで頬をパタパタやりながら、三関は火の消えた花火をまた一本、バケツに入れた。
「とにかく、あたしは、ずっと言いたかったんだよ。 あんたの事好きだって」
 やっとちゃんと言えた。
息をつくように、彼女は笑みを浮かべた。
それはあの日の、あの夜の表情と、同じに見えた。

「あたし、30歳になっても恋人がいなきゃ結婚しようとか、バカな事言ったでしょ。 あれ、忘れていいからね。 …って、これも、覚えてないかな。 あたしが一方的に覚えてるだけだったりして。」
「………。」
 僕は、「覚えているよ。」 と、言葉にする事はできなかった。
言えば、僕は三関と友達でいることはできなくなるだろうと、何故かそう思った。
 三関の瞳が揺れる。
僕は、三関の目を見て、正直に言った。
「ゴメン三関、俺、『なかったこと』にするなんて最低だって言っておきながら。 覚えてないなんて。」
「何かしこまってんのよ。 い、いいんだって。 酔ってる時に言ったわたしが悪いんだから。」
「本当にゴメン。」
 僕のゴメンの意味に、三関は悲しい笑顔で。
一呼吸して、うん、と静かに頷いた。
「正直に言って、俺、自分がお前と付き合ってる所、全然想像つかない。」
「そう、だよね。 あはは…そうだろうなぁ。」
 …でも、どうしても、言っておきたかったんだよ。
ごめんね。 と消え入るような声が聞こえた。
 誤魔化すように残りの花火をひとまとめにつかんで、まとめて火をつけて、
三関はとってつけたような元気で僕に笑いかけた。
「これからも友達でいるってのは? ダメかな?」
「ダメな訳ないだろ。」
 答えながら僕は、その顔を直視する事が出来なかった。

「…ありがとう。」
 風の音にまじって、三関の声が聞こえた。
それはすこし涙の気配を含んだ、笑い声だった。




【7】

 東京に帰る朝がやって来た。
空は晴れ渡り、澄んだ空気に鳥達のさえずりが響く。
 僕は昨日と同じに、朝早くからハチを連れて河川敷にやってきた。
流れる川面も見つめながら、リードの巻き取りスイッチをフリーにして、タバコを吸う。
夕暮れと逆の方向から、ゆっくりと上っていくオレンジ色の太陽に、目を細める。
 時計を見れば、6時をちょっと過ぎた頃だ。
軽快な足音は…聞えてはこない。
ハチはうれしそうにあちこち走り回っていたが、ヤツの耳を持ってしても、
三関が近くにいない事はわかったのだろう。
すこし遊び疲れたような様子で、煙草を吸い終えた僕の足元にやってきた。
 僕は、吸い終えて火を消した煙草を地面に落とそうとして、思いとどまった。
そっとビニール袋に入れて、ハチの首をなでた。
「なあハチ、1+1はなんだ?」
「ワン!…アン、ワン!」
 ハチは、怒ったようなどこか投げやりな返事をする。
三関が今のを聞いたら、すごい勢いで撫でくりまわしてくれただろうな。
『うそ!? すごいよハチ、今、ワン・アンド・ワンって言ったよね!? …な、なんて頭いいのこの子!!』
目をキラキラさせて大喜びする彼女の笑顔が、簡単に想像できる。
「えらいぞー、ハチ」
手を伸ばして撫でようとした僕の手から、ハチはくーんと鼻をならして遠ざかっていった。

 ここに来る途中、僕はバケツと虫よけスプレーを返しに、修治くんのお店に寄ってきた。
修治くんはニヤニヤしながら、
「きのうはどうだったんだ。ええ?」
 と いやらしい笑顔で僕の肩を叩いた。
修治くんは全部知っていたのだ。 三関がずっと僕の事を好きだったという事も、
それをずっと伝えたがっていたことも。
「26にもなって、未だに中学生みたいな恥じらい方してやがるんだからなー、もう、見てられんぜ」
 腕を組んでがははと笑ったあとで、僕の表情をみて笑いを消した。
「スマンな、お膳立てしたつもりだったんだが。 迷惑だったか。」
「迷惑なんかじゃ…。 ただ、なんて言ったらいいか。」
「あいつのこと、振ったのか。」
 僕の表情を見て、修治くんは察したようだった。
修治くんは苦笑いで、手を振った。
「気にしなくていい…とは言わんけど。 あいつな、振られるってわかってるんだって、言ってたよ。 あいつがお前に惚れたのは、好きな女に何度振られても諦めないその一途さにあるんだってさ。」
物好きと思わん?なぁ、守、と僕の肩を叩いて、修治さんはまっすぐに僕の目を見た。
「お前さんが誰かさんを追いかけてたみたいに、三関のやつも、お前をずっと追いかけてたんだよ。 それだけだ。」
 そして、三関が毎日実家から片道5キロも離れたあの河川敷にランニングしに来てるのは、
ハチの散歩してる僕と『たまたま』遭遇する為だったという事や、
僕と花火をしたあの河川敷を特別な場所だと思って、時々ゴミ拾いしたりしてるらしいという事を、修治くんは付け加えた。
「お前も結構ストーカーじみてたけど、三関はその上をいってたわけだな。 似たモン同士、付き合うんだと思ってたよ。 なんか三関にもお前にも、悪いことしちまったな。」
「こっちこそ、ゴメン。 …おれ、今日東京に帰るんです。 これからいつもの河川敷に散歩に行くけれど、三関には会えないような気がします。 あいつ、携帯持っていないから、連絡取りようもないし…取れたとしても、なんて言えばいいかも…」
「わかってるよ。 ちゃんと俺がケアしとくよ。 子供じゃねーんだから、きっと次に会うときにはお前の事なんかふっきれてるよ。」
 わかったら、そんなしみったれた顔してねーで、表で待ってるハチ公を早く散歩に連れてってやれって。
バシッ と力強く叩かれた肩は、すこし痛かった。
ドアを開いた瞬間、修治くんが僕を呼び止めた。
「金は、やっぱり返さなくていいよ。」
「かね?」
 そういえば、金曜日に三関と再会した時に、たしかそんな話を聞いた気がする。
でも、修治くんにお金を借りたことなんてなかった。 貸したことは何度もあったけれど。
「忘れちまったのか? 高校の時に、あんまりに三関に男っ気がないからって、賭けをしたろ。 三関が付合うのは誰かって、五千円でさ。 俺は『俺以外』に、お前は『お前以外』に賭けた。 俺達のどちらかが あいつと付き合わなきゃ、勝ちのでない賭けをしたろ。 俺はてっきり、お前は三関と付き合うもんだと思ってた。」
 でも、そうじゃなかったから、賭けはチャラだ。
修治くんはそういって、全然うれしくなさそうに笑った。


「なんでだよ。」
 僕はゆっくりと流れていく川面を見つめながら、鼻の奥がつんと痛くなるのを感じた。
じわじわと湧き出てきた涙で、視界が端からぼやけてゆく。
 鼻水も拭かずに、僕はただ涙が流れてしまわないように上を向いた。
空は雲ひとつなく晴れ渡り、まだオレンジ色をした太陽の光が、涙の溜まったまぶたの内側で乱反射した。
その花火のようにスパークする光に、闇の中で見た三関の表情を思い出した。
「なんで俺なんか好きになるんだよ、三関。」
 僕はついに堪えきれなくなって、泣いた。
 どれほどの間そうしていたか、わからない。
 結局その日、三関が河川敷に来る事はなかった。


 そうして、僕の26歳の夏は、終わりを告げた。
胸に残ったのは、ただ、焼け付くような切なさだった。


 

2009.10.16 Update.

  


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