『 たてぶえ 』  / /
――――――――――――――――――――――――― 3日目



 演奏会の準備が始まるようになってから、3年1組の一部の女の子達の間で、ひそかに流行しているいたずらがある。
 夕方遅い時間や、あるいは朝早く、誰も居ない時間帯を見計らっては、こっそりと教室に忍び込んで、
好きな男の子の頭部管と、自分のそれとを、秘密裏に交換してしまうというものだ。
 いたずらというよりも、本人たちの認識は『恋のおまじない』に近いものがある。
なんでも、好きな子の頭部管は強いおまもりになるらしいのだ。
真偽の判定は、もちろん下される事はないのだけれど。
 『誰が、いつ、誰のたてぶえと交換したのか。』 そういった情報を、朝の教室の隅で、
スパイみたいに内緒でひそひそ話し合うのが、本洲撫子(もとす なでしこ)にとっても楽しみのひとつだった。
「アケミちゃんは昨日の夕方遅くに、実行したらしいでー。」
「ってことは、高野の?」
「うん。 昨日電話で、取ったどって言うてた。」
「おおー。」
 円陣を組むように座る女子達が感嘆の声を漏らす。
撫子もキラキラ目を輝かせ、ランドセルを背負って教室に入ってきたばかりの明美に尊敬のまなざしを送った。
「これで、あたしら5人は全員任務成功やね。」
 一同の目が、ちらと撫子に向けられた。
「あとは、なっちゃんだけやでー。」
 うっ、と撫子は言葉につまる。
「…わ、わかった。 今日、遂行するわぁ。」

 撫子の好きな男の子は、小学校2年の時から決まっている。
当時同じクラスだった、対馬博だ。

 1年前
撫子は自分の名前があまり好きではなかった
 
その由来を辞書で引いてみたことがある。
 
大和撫子というのは『日本女性の清楚な美しさを褒めていう言葉』なのだそうだ。
清楚という言葉がわからなかったのでまた辞書を引くと、『清らかですっきりしている事』と書いてあった。
清らかというのはどういう事かとさらに辞書を引くと、『けがれなく澄み切って美しいさま、清純なさま』と書いてある。
清純というのは… と、辞書を引いて、ああ、と撫子は溜息をついた。
―― 『清く素直なこと』。
素直な、という言葉がでてくれば、納得できる。
いじわるな男子達とも、本当は仲良くしたいのに、
何かにつけてついムキになったり、きつく言い返してしまう自分は、たぶん清らかではないし、素直なんかじゃない。 と撫子は思った
 
やっぱりこの名前は自分にあっていないのかもしれない、とがっくりした気持ちになっていた。

 
そんな時、博が撫子にプレゼントをくれた。
 ふでばこに入るくらいの、白い厚紙に透明なフィルムを貼ったしおり。
端にパンチで穴を空け、赤い帯紐が結ばれている。
表には、糸状に細裂した濃い紫の花びらをもつ花と、薄紫の可憐な花びらをもつ花が並べて押し花にされていて、
裏にはキレイな筆字で、『草の花はなでしこ 唐のはさらなり 大和のも いとめでたし』 と書かれてあった。

『い、いや。 その。 こういうの最近姉ちゃんがようさんつくってて。 まねしてみたんやけど。 よかったら。』
 細切れになった言葉でそう告げて、投げるように手渡し、博は逃げるように去っていった。
 撫子が家にかえって、その栞を母親に見せると、母親はまあ、と笑って彼女に言った。
『その対馬くんて子、なっちゃんが好きなんやねえ。』
 初めて見るその花も、書かれた文字の意味もわからなかったので、撫子は母親に問いかけた。
母親は、その言葉が枕草子という昔の書物からの引用であることと、その花が名前の違う二つのナデシコの花であるこということを教えてくれた。
『その言葉の意味はね、なっちゃんが大きくなったら、自然とわかるようになるよ。』
 栞にされた綺麗な花を見ていると、撫子は自分の名前と、プレゼントをくれた博のことを、いっぺんに好きになった。
母親はそのしおりをみるたびに、『それにしても、ずいぶんなプレーボーイねぇ。 ほんまに小学2年生?』とつぶやくように言っていたが、撫子が『プレーボーイって何?』と聞くと、ほほほ、と笑って答えてはくれなかった。


 撫子は自分のたてぶえを交換するなら、博のものと交換するつもりだった。
迷うことはないはずだった。
だけど、仲間内で任務を遂行できていないのは、ついに撫子ひとりになってしまった。

『――お前、和田アツコみたいな髪型しとるなー。』
 そう言って変なちょっかいをかけてくる男子がいる。
『――うっさいわブス。 だまってろ』
 顔をあわせればいつもケンカばかりしているその声が、どうしても撫子の頭から離れなかったのだ。

 昨日 放課後早い時間に、撫子は任務を遂行する為に教室にやってきた。
そこで、偶然にも忘れ物を取りに来た千嶋良太と、ばったり出くわしてしまったのだ。
ほんの少し話をしただけなのに、やっぱり、ケンカになってしまった。


 もしも自分のたてぶえを、良太のものと交換したらどうなるだろうか。
そのお守りは、どんな風に働くのだろうか。
そんな事を思いながら、迷いをもって撫子は、音楽の授業を明日に控えた今日、西日が指す教室に、ふたたび戻ってきた。


 夕方の教室は、いつもと違って不気味なほど静かで、なんだかとても息苦しくて、すこしでも物音を立てればどこまでも響いていきそうな気がした。
 掃除道具入れから、ひょっこり幽霊でも出てきそうな雰囲気だ。
 昨日は良太がいて全然怖くなかったけれど、撫子はすこしおびえながら足を踏み入れた。

 自分の前の席に座る良太の机の中には、たてぶえがある。
遠く離れた一番後ろの博の席には、かばんかけにリコーダー袋が納まっていた。
そのふたつを自分の机の上に並べて、撫子は目を閉じた。

 綺麗な押し花と、意味の不明な言葉を書いたしおりをくれた対馬博。
 余計なちょっかいばかりかけてくる、クラス一の悪ガキの千嶋良太。
 撫子が手を伸ばしたとき、頭の中で、また、昨日の良太の声が聞えた。

『アホか。 違うわ!!』

 力いっぱいに否定したその言葉に、ムッと唇を引き結ぶ。
「あーしも、違うわ。」
 ふっと笑みをもどして、撫子は博のリコーダー袋を開いた。
 博のたてぶえに付いているのが自分の頭部管で、自分のたてぶえについている頭部管が、実は良太のものだとは知る由もなく、こうして撫子は、嬉々として任務を遂行したのだ。
(よしっ、これであーしも任務達成! さて、明日に向けて家で練習せな。)
 取替えたばかりのリコーダー袋を手提げごと手にして、撫子は教室を後にした。
 みんなに報告するのが待ち遠しくて、鼻歌をうたいながら廊下を通りすぎてゆく。

 明日の一時間目の音楽の授業で、博と良太はどんな表情で間接キッスをする事になるのだろう。
ただひとつの目撃者である壁時計は、チクタクと苦笑いのような音をたてて、午後4時半を静かに刻んでいた。

 


おわり。

2010.01.30 Update.

  


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