あ、うん
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 画面の中の手紙を何度も書き直して、推敲に推敲を重ね、
出来上がった文面をもういちど確認して、やっとあて先を設定し、送信する。
その間、約35分。
たとえ短いやりとりでも、オレがメールに費やす時間は長い。

 何故か。 そんなの決まってる。
女はメールの文面でいろいろな事を判断するからだ。
例えば、何気ない質問にまとはずれな回答が返ってきたら、
どうか。
長ったらしい長文メールが返ってきたら、
どうか。
やたらと絵文字でデコレーションされたメールが返ってきたら。
そうだ。 女でなくたって引く。
だが、得てして恋をしている男というのは、どうしても自分の事を語りたくなるし、
相手の喜ぶ話題を引き出したいし、テンション上がってしまっているのがもう黙ってても出ちゃうわけだから、
こうして何度も自分の文章を読み返して、
(オレさぶい事言ってねーか)
とか、
(これ自慢に見えねーかな)
とか、
(この流れで行っても話題の発展なさげなんじゃねーのか)
といった風に思考を回転させるのだ。

 出会ってから今までに得た情報と、まだ聞きだしていない情報を、
神経衰弱のように手繰り寄せながら、
目当ての情報を聞き出すための質問が自然なタイミングできり出せるように、
話題の先読みは特に慎重に行う。
 そして時々わざと、メールの返事を返さなかったりするのだ。
そうすることできっと女はやきもきするだろう。
(わたし変な質問したんじゃないかしら)
みたいな風に思って、ちょっと不安になりかけたところに、
『いやいや、ちゃんと聞いてるよ』みたいなオレのメールが届いて
(ホッ…よかった…。)
となるわけだ。


 デートに誘うのも同じ手法が有効といえるだろう。
たとえば、ドコソコのお店が美味しいんだってー、と向こうがメールを送ってくる。
ここで喜んで返事を返すのが、悪いとは言わない。
でもオレなら、ここはキチンとひと手間入れるだろう。
 まず、そのままでも十分に誘いやすい流れにはなってる。
ここまで向うが譲歩しているというのに、「じゃあ、行ってみる?」と誘わなければ、そいつは男じゃないと断じよう。
しかしだ。 ここで一回スルーするとどうなる?
『ふーん、そうなんだ。 あれ、そういやアカネちゃんって電車通勤だったっけ』 とか全然関係ない事を返して、出方を伺う。
 当然、予期しない話題のジャンプに向こうは焦る。
(え…誘ってこない? ひょっとして私に興味ないのかな)
みたいな風に思って、ちょっとの間返事が手に付かなくなるくらい考えこむだろう。
考えた挙句俺の質問に仕方なく、
『ううん、車通勤だけど』
と返す事になる。
そしたらおれは、
『じゃあ今週末アカネちゃんの車でドコソコのお店に行こうよ』
と送るのだ。 ここで女は
(ホッ…よかった…。)
となるわけだ。
 約束を取り付けるだけでなくアドバンテージを取る事ができる。
答えの知っている質問をもう一度繰り返すだけで、だ。


 だから当然、バレンタインなんていうイベント日にとりつけるデートなんてものは、
それこそ考えに考え抜く。 何せまだ、2回目のデートだ。
『ドコで何時に待ち合わせる?』
 このメールに対する返信画面を開いて、かれこれ四十分近くになる。
たとえこちらが何かを貰える側だとしても、最低限のリードはしなくてはならない。
 まずデートを終日にするか半日にするか、そこからだ。
 何処を2人で回るか。  タイムスケジュールにも気を配る。
なにせ当日は恋人たちの祭りといっても過言じゃない。
まあこっちはまだ付き合っていないわけだけど、条件は同じだ。
店は混むだろうし、時間にゆとりを持って移動するべきだろう。
しかし今はあいにく電車の中で、これらを情報収集できるインターネット環境にいない。


 と。 急に開いていた携帯の画面が白紙の文面から 音声着信のアニメに切り替わった。
メールの彼女からだ。 周囲の乗客に気を使いながらも、通話ボタンを押す。


「あ、もしもし、古谷です。」
『もしもーし、アカネですけど。 メール見た?』
 見てたけど、返事が遅いと思われたらマイナスだ。
「悪い、今見たとこだよ」
『じゃあ、どうする? 明後日、何時にどこで待ち合わせしよっか?』
「あー、それなんだけど…」
 事は、性急であってはならない。
綿密な情報収集と、スケジューリングの上にしか、心動かす瞬間はやってはこないのだ。

 ――彼を知りて己を知れば、百戦して殆うからず。

 これは孫子の有名な兵法であるが、奇遇にもオレの持論とまったくかぶっている。
孫子と生きる時代が同じであったなら、きっとヤツとは、マブだったはずだ。
 おれはガタゴトとゆれる車内でバランスをとりつつ、返事を返す。
「ごめん、今電車の中だから、降りたら掛け直すわ」
『えーー、わかった。 じゃあ、一個だけいい?』
 彼女は不満そうな声で言った。
「いいよ。」
 まさかここで告白とかしてこねーだろうな。


『古谷くんてさメールの返事遅すぎるんだよねー。 メールしてて眠くなるから今度から電話で話そうよ。 あとさー興味の無い話題とかだったら言ってね。 一回無視してから無理に話あわせたりとかしなくていいよ。』


オレは頭から血の気が引くのを感じながら、

「あ、うん…。」
と、小さな返事を返した。



 

2010.02.13 Update.

 
 


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